チェリビダッケ--まさに鬼才
今日はチェリビダッケについて。この鬼才を知らない人がいても私は怒りません(何せ彼は録音を毛嫌いしたんです)。
セルジュ(またはセルジウ)・チェリビダッケ(1912 ~ 1996)はルーマニア出身の指揮者。若い頃よりサイ・ババなどのキリスト教異端や禅などへアプローチをしていた特殊な経歴をもつ(特に禅は彼の音楽に深く影響していると言われる)。 その指揮者デビューは 1945 年にベルリンのソ連管轄地域でのコンクールで優勝したことによるベルリン・フィルへの出演である。当時のベルリン・フィルは音楽監督のフルトヴェングラー不在の状況で大変、困っていたため、チェリビダッケはその再建に尽力(彼はフルトヴェングラーの信奉者の一人でもあった)。その甲斐あってか二年後にはフルトヴェングラーの復帰を実現させている。
彼は生涯を通じて「完璧主義者」だった。自分の意思に反する者は例え、それがコンサート・マスターであっても怒鳴った。そのためかベルリン・フィルの楽団員はこの若者を有望な者と思いつつ徐々に距離を置くようになっていった。またチェリビダッケが海外へ積極的に行き、そこでベルリン・フィル批判をするといった行為は楽団員の疎遠化をより促した。結果、彼は 1952 年にベルリン・フィルの常任指揮者を辞め、以後は北欧などで暗い指揮活動を行っていた。1972 年、南ドイツのシュトゥットガルト放送交響楽団の首席客演指揮者待遇を受けて、同楽団にきりっと引き締まる音作りを叩き込んだ(それが今のノリントンに受け継がれているかどうかは疑問だが)。1979 年にはミュンヘン・フィルの芸術監督兼ミュンヘン市音楽総監督に就任。その独自の世界を展開した。
以上が彼の「伝記」である。彼の特徴は(特にミュンヘン時代)、音響にとかくこだわったこと。彼の緩いテンポは常に問題になるが、これは彼が音響と音作りにこだわったものによるものだろう(音響を想像して CD を聞くべき)。また、彼の演奏はフルトヴェングラーを信奉していたとは言え、決してドラマティックになりすぎない。彼は楽譜を深く読み、そこに何かを見出すという人だった。しかもアーノンクールのように楽理分析をするだけでなく思想的に読んでいたということも特徴だろう。
彼の演奏はシュトゥットガルト時代がドイツ・グラムフォン、ミュンヘン時代が EMI 、ベルリン時代とその後の放浪時代については各種復刻レーベルからそれぞれ、リリースされている。彼はブラームスの交響曲4番を得意としていた。彼はこの曲をソ連主催のコンクールで演奏し優勝したのである。まずはこれがお勧めである。幸いなことにこれはシュトゥットガルト時代もミュンヘン時代にも録音されている。
彼のブルックナーは特に有名だったがこれを聴くのは時間を要する。大抵、CD 2枚のはずだ。このブルックナーについては私はまだ分かっていない。
チェリビダッケは鬼才といえる。彼を模倣する人は何人もいたが、それを実現できた人はいなかった。
セルジュ(またはセルジウ)・チェリビダッケ(1912 ~ 1996)はルーマニア出身の指揮者。若い頃よりサイ・ババなどのキリスト教異端や禅などへアプローチをしていた特殊な経歴をもつ(特に禅は彼の音楽に深く影響していると言われる)。 その指揮者デビューは 1945 年にベルリンのソ連管轄地域でのコンクールで優勝したことによるベルリン・フィルへの出演である。当時のベルリン・フィルは音楽監督のフルトヴェングラー不在の状況で大変、困っていたため、チェリビダッケはその再建に尽力(彼はフルトヴェングラーの信奉者の一人でもあった)。その甲斐あってか二年後にはフルトヴェングラーの復帰を実現させている。
彼は生涯を通じて「完璧主義者」だった。自分の意思に反する者は例え、それがコンサート・マスターであっても怒鳴った。そのためかベルリン・フィルの楽団員はこの若者を有望な者と思いつつ徐々に距離を置くようになっていった。またチェリビダッケが海外へ積極的に行き、そこでベルリン・フィル批判をするといった行為は楽団員の疎遠化をより促した。結果、彼は 1952 年にベルリン・フィルの常任指揮者を辞め、以後は北欧などで暗い指揮活動を行っていた。1972 年、南ドイツのシュトゥットガルト放送交響楽団の首席客演指揮者待遇を受けて、同楽団にきりっと引き締まる音作りを叩き込んだ(それが今のノリントンに受け継がれているかどうかは疑問だが)。1979 年にはミュンヘン・フィルの芸術監督兼ミュンヘン市音楽総監督に就任。その独自の世界を展開した。
以上が彼の「伝記」である。彼の特徴は(特にミュンヘン時代)、音響にとかくこだわったこと。彼の緩いテンポは常に問題になるが、これは彼が音響と音作りにこだわったものによるものだろう(音響を想像して CD を聞くべき)。また、彼の演奏はフルトヴェングラーを信奉していたとは言え、決してドラマティックになりすぎない。彼は楽譜を深く読み、そこに何かを見出すという人だった。しかもアーノンクールのように楽理分析をするだけでなく思想的に読んでいたということも特徴だろう。
彼の演奏はシュトゥットガルト時代がドイツ・グラムフォン、ミュンヘン時代が EMI 、ベルリン時代とその後の放浪時代については各種復刻レーベルからそれぞれ、リリースされている。彼はブラームスの交響曲4番を得意としていた。彼はこの曲をソ連主催のコンクールで演奏し優勝したのである。まずはこれがお勧めである。幸いなことにこれはシュトゥットガルト時代もミュンヘン時代にも録音されている。
彼のブルックナーは特に有名だったがこれを聴くのは時間を要する。大抵、CD 2枚のはずだ。このブルックナーについては私はまだ分かっていない。
チェリビダッケは鬼才といえる。彼を模倣する人は何人もいたが、それを実現できた人はいなかった。

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