Amigomr's second blog

このブログは MozillaJapan 翻訳部門や訳語決定会で活動している Amigomr の趣味など超私的なブログです。

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ここは Amigomr's 徒然日記の前の日記です。今はサーバ落ちの時などにのみ使っています。

日曜日, 9月 03, 2006

ラトル with ベルリン・フィルは合わない

どうしても腑に落ちないのがサー・サイモン・ラトル氏のベルリン・フィル就任だ。バーミンガム市響での実績が高く評価されての就任だったが、彼の演奏スタイルは個性に欠けている。

例えば、無駄に古楽演奏を試みること。今のベルリン・フィルはアバドから引き継いだ優秀なオーケストラ力がある。なのにそれを無視して古楽に走るのはどうだろう。だったら18世紀オーケストラに指揮しに行けば良いと思うのは私だけだろうか。
彼は現代音楽に並みならぬ興味を抱いているようだが、彼は現代音楽といってもマーラーで終わってしまっている。私自身、現代音楽はほとんど嫌いだが、それでもショスタコーヴィチなどはよく聞く。ラトルは作品の出来た時代背景を余り知らないらしい。技術面での彼の功績は高いかもしれないが、ショスタコーヴィチはロシアのあの貧しい楽器によるムラヴィンスキー盤が高く評価されることからも分かるように、技術面ではなく感情面も重要ではないだろうか。

ラトルはウィーン・フィルとも数多くの共演で知られているが、彼はあのムジークフェラインで美しい音を鳴らしきっていない。彼はウィーン・フィルからニューイヤーコンサートを持ちかけられてもおらず、本当に相性が良いのだろうか。青二才の指揮者とただ触れてみたいというのがウィーン・フィルの人々の思いでは、とすら思う。

かつてベルリン・フィルの指揮者はいずれもドイツ音楽を得意としていた。フルトヴェングラーは没後50年経っても忘れられないベートーヴェン演奏で知られ、後任のカラヤンも商業的ではあったがドイツ音楽をやはり中心レパートリーにおいていた。さらに後任のアバドもドイツ音楽では若い頃にフルトヴェングラーのリハーサルに行ったことがあることあってイタリア人でありながら得意としている。だが、ラトルは現代音楽の功績は良いが、全ての音楽における基礎のドイツ音楽がどうも上手いとは言えない。デビュー直後の「第九」は盛り上がりに欠け、オーケストラも十分にベートーヴェンを弾いてはいなかった(同じ楽団の 1942 年のフルトヴェングラー指揮「第九」と比較してみよ)。

アバドの健康不良のためラトルは就任したとされる。だが、ヤンソンスやティーレマンといった指揮者がベルリン・フィルのシェフになっても良かったのではないだろうか。