フルトヴェングラー賛歌
この前、ベルリン・フィルとラトルについて書いたので、それ以前のベルリン・フィルの名音楽監督として知られたウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886 ~ 1954)について書きたい。彼はすでに没後50周年を経た指揮者なのでインターネットのサイトでも彼の指揮を聞ける(例:Blue Sky Label )。
彼がベルリン・フィルの音楽監督だったのは戦前から戦後までという激動期だった。特に戦時中にナチスに(ドイツ国内にいるのに)反抗したというのは特筆されるべきだろう。彼は、なぜナチスがいるドイツに留まったのかという問に対して戦後の非ナチ化裁判で次のように答えている:
「私は、自分がドイツの音楽家としてドイツと言う名のために外国で活動したいと言いました。これはナチス政権の名のためという意味ではありません。」(「フルトヴェングラー 悪魔の楽匠」116 ページ)
さらに、彼は多くのユダヤ人を助けた(あったこともない人を含めて)。ナチスはそれを知ってはいたがフルトヴェングラーのその知名度の高さゆえに殺せなかった(崩壊直前になってナチスは彼を殺そうとしたが、彼は間一髪、スイスへ逃れた)。
そろそろ、彼の音楽論に行こう。彼の音楽は戦時中に皮肉にもナチスによって録音されたものが数多くある(それらの大半は後にソ連が接収していった)。特に、私が聴くのは 1944 年12月のウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲3番「エロイカ」(通称:ウラニアのエロイカ)である。第一楽章のティンパニはかつて聴いたことのないぐらい荒れ狂っている 。その音楽は推進力によって満たされ、まさに英雄の進む道である。第二楽章は数ある名盤の中で最も優れている。ウィーン・フィルはその美しさで知られていたが、この第二楽章は二度とない名演。弦楽器は哀しみの中にある。金管楽器も誇り高く鳴っている。もう第三楽章と第四楽章については論じる必要はないだろう。
もう一つ。戦時中の録音から 1942 年のベルリン・フィルとの「第九」を挙げる必要があるだろう。「歓喜の歌」だが、この演奏では歓喜は姿を消してしまっている。第四楽章の有名な歓喜の歌はここでは意味を失ってしまっている。
戦後の録音からは 1951 年のバイロイト祝祭管弦楽団との「第九」を挙げよう。長らく「名盤」と呼ばれてきたものである。自由へと開放された彼の音楽は「歓喜」という言葉に最もふさわしい。この「第九」ほど「歓喜」に満ちた「第九」はあるまい。
もう一つ。 1947 年のフルトヴェングラーが音楽活動を再開できた最初の演奏会の「運命」。ここでは第一楽章よりもむしろ第四楽章がすばらしい。第四楽章は栄光に突き進むような音楽だからだ。
1951 年の北ドイツ放送交響楽団とのブラームスの「第一」は戦後とは思えない燃えに燃えた名演。特に第一楽章がすごいだろう。
1950 年のスカラ座でのワーグナ「指輪」四部作では大変、音質は悪いがドラマティックな演奏が繰り広げられている。何よりブリュンヒルデ役を世紀のソプラノのキルステン・フラグスタッドが演じているのはこの名演を生む要素の一つだろう。
フルトヴェングラーはよく 20 世紀最高の指揮者と言われる。カラヤン以前の指揮者では最もリリースが多い指揮者だろう。彼の音楽については今後も書きたい。
彼がベルリン・フィルの音楽監督だったのは戦前から戦後までという激動期だった。特に戦時中にナチスに(ドイツ国内にいるのに)反抗したというのは特筆されるべきだろう。彼は、なぜナチスがいるドイツに留まったのかという問に対して戦後の非ナチ化裁判で次のように答えている:
「私は、自分がドイツの音楽家としてドイツと言う名のために外国で活動したいと言いました。これはナチス政権の名のためという意味ではありません。」(「フルトヴェングラー 悪魔の楽匠」116 ページ)
さらに、彼は多くのユダヤ人を助けた(あったこともない人を含めて)。ナチスはそれを知ってはいたがフルトヴェングラーのその知名度の高さゆえに殺せなかった(崩壊直前になってナチスは彼を殺そうとしたが、彼は間一髪、スイスへ逃れた)。
そろそろ、彼の音楽論に行こう。彼の音楽は戦時中に皮肉にもナチスによって録音されたものが数多くある(それらの大半は後にソ連が接収していった)。特に、私が聴くのは 1944 年12月のウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲3番「エロイカ」(通称:ウラニアのエロイカ)である。第一楽章のティンパニはかつて聴いたことのないぐらい荒れ狂っている 。その音楽は推進力によって満たされ、まさに英雄の進む道である。第二楽章は数ある名盤の中で最も優れている。ウィーン・フィルはその美しさで知られていたが、この第二楽章は二度とない名演。弦楽器は哀しみの中にある。金管楽器も誇り高く鳴っている。もう第三楽章と第四楽章については論じる必要はないだろう。
もう一つ。戦時中の録音から 1942 年のベルリン・フィルとの「第九」を挙げる必要があるだろう。「歓喜の歌」だが、この演奏では歓喜は姿を消してしまっている。第四楽章の有名な歓喜の歌はここでは意味を失ってしまっている。
戦後の録音からは 1951 年のバイロイト祝祭管弦楽団との「第九」を挙げよう。長らく「名盤」と呼ばれてきたものである。自由へと開放された彼の音楽は「歓喜」という言葉に最もふさわしい。この「第九」ほど「歓喜」に満ちた「第九」はあるまい。
もう一つ。 1947 年のフルトヴェングラーが音楽活動を再開できた最初の演奏会の「運命」。ここでは第一楽章よりもむしろ第四楽章がすばらしい。第四楽章は栄光に突き進むような音楽だからだ。
1951 年の北ドイツ放送交響楽団とのブラームスの「第一」は戦後とは思えない燃えに燃えた名演。特に第一楽章がすごいだろう。
1950 年のスカラ座でのワーグナ「指輪」四部作では大変、音質は悪いがドラマティックな演奏が繰り広げられている。何よりブリュンヒルデ役を世紀のソプラノのキルステン・フラグスタッドが演じているのはこの名演を生む要素の一つだろう。
フルトヴェングラーはよく 20 世紀最高の指揮者と言われる。カラヤン以前の指揮者では最もリリースが多い指揮者だろう。彼の音楽については今後も書きたい。
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